2007年10月22日月曜日

嵐廻間古窯跡

 窯は大芝池の北側で標高34㍍の丘陵南斜面に2㍍の間隔をおいて2基が並んでいた。1956(昭和31)年に有松中学校によって調査された。窯は全長7メートルで最も広い部分は2メートル、窯の傾斜度は10度~40度で焚口から煙道へと続いていた。窯内部の高さは約1メートルと推定され、出土したのは山茶碗や山皿が中心で、大型の茶碗(口径18センチ高さ4センチ底径8センチ)も出土している。釉薬を塗ったように光っている山茶碗があるが、マツやナラの木を燃料としているため、木の灰が付着して釉薬を利用したように見える。灰原には焼成に失敗した十数個重なった山茶碗などがあった。同窯跡のほか1957(昭和32)年に有松中学校が発掘調査した清水山古窯跡、三丁山、生山、幕山、愛宕西・東、神明、清水谷、深谷池、上ノ山の古窯跡があり遺物が出土しているが、調査されないまま工事などで消滅してしまった窯跡も多い。窯が築かれたのは丘陵が多く燃料となる木、一番大切な原料となる良質な粘土、製品を運び出すルートなど条件がそろっていたことが考えられる。

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