2007年10月22日月曜日

慈雲寺

 相羽家の祖先をまつるため、1882(明治15)年に清心庵を造営したのに始まる。1890(明治23)年京都府下乙訓郡大枝村字塚原より寺号を移し相羽山慈雲寺とした。浄土宗で開山・慈空潜龍上人道雲和尚(相羽弌郎)は漢方医として、名を広く知られた医者で漢学者。一代で大きな財産をつくりあげたといわれ、尾張藩御目見御用懸医師締在方となった人。特に花柳病の名医として門前には旅篭二軒が並び、多くの患者が詰めかけにぎわった。また医術だけでなく算術・手習いのほか、手裏剣・吹煙術など武芸も教え、明治初年には桶狭間の戸長を務めている。寺の本堂は1895(明治28)年に棟上げを行った。山門は江戸時代に建てられた白壁造りの武家門で、長屋が付属しており寺というより武家屋敷といった趣き。開山の残した医術関係の手紙、書類、患者のカルテ、免許状、医術・手裏剣・吹煙術など教えを受けるための入門願書、本など多くの歴史的遺産が保存されている。

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