2007年10月22日月曜日

有松・桶狭間の生い立ち

 有松・桶狭間にはいつごろから人々の営みが始まったのでしょう。その歴史は貝塚などとして大切に土のなかに保存され、工事などによって時々私たちの前に姿を見せてくれます。
 桶狭間では石鏃が撒布していた報告があり、石器時代にはすでに人々が暮らしたと推定される痕跡が残っています。
 有松・桶狭間には鎌倉・平安時代の山茶碗などを焼いた窯が多くあり、窯から盛んに立ち上る煙の下で工人たちが暮らしていたことがわかります。
 1980(昭和55)年の南陵小学校の工事でも山茶碗など約2000点が見つかっています。
 桶狭間には南北朝時代の1340(興国1・暦応3)年ころ戦いに敗れた南朝の人たち3~4人が住み始めと伝えられ、有松には1608(慶長13)年、尾張藩の移住奨励によって8人が移り住みました。
 いずれの土地も肥沃ではなく、厳しい環境の中で努力して暮らしを立て、そして少しずつ人口が増え発展していったのです。
 桶狭間は1560(永禄3)年に織田信長と今川義元の戦いが繰り広げられました。日本が統一への幕開けとなった歴史的資産である合戦の場所です。
 有松は尾張藩の触書「知多郡之内桶狭間村新町之儀 諸役令免許候間望之者ニ於テハ被地ヘ可越者也仍如件 慶長十三年二月十八日 寺西藤左衛門 原田右衛門」によって開村しました。
 1878(明治11)年に桶狭間は共和(大府市の北部)と合併しました。
 1896(明治29)年に有松は町となり1893(明治26)年11月には桶狭間が有松と合併して有松町となりました。
 1964(昭和39)年に有松町が名古屋市と合併して知多郡有松町から名古屋市緑区有松町となりました。

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