2007年10月22日月曜日

長福寺

 永禄3(1560)年、桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に敗れた5月19日。義元と関係深い長福寺では毎年この日か、その前に義元ほか将兵を供養する大法要を営むが。突然雨が降り出すことがあり「義元の涙雨」と呼んでいる。浄土宗で1538(天文7)年の建立とされる。寺の縁起によれば和光山天沢院と号し善空南立上人の開山。『尾張徇行記』では中興開山が同上人という。本尊阿弥陀如来と文殊菩薩は今川家の家臣林阿弥が故主の回向に来てこの寺に納めたものという、寛文年間(1661~1672)の火災により宝物は消失した。本堂は宝暦年間(1751~1763)に改築され痛みが激しかったことから、1980(昭和55)年再建され鉄筋の堂宇になった。現存するものは本尊仏、義元、松井宗信の木造のほか、林阿弥の弥陀記や桶狭間合戦記などがある。
 門前からゆるやかな坂を上ると惣門。昔は南向きにあったが、尾張四代目藩主徳川吉通が寺を訪れる際、行列が難渋するとの理由で、鳴海の豪商千代倉の当主下郷弥兵衛の寄進で道路に面した西向きに移された。門は1912(大正元)年の台風で倒壊したが再建されている。境内にスギが1本。桶狭間の戦いの勝敗が決したあと、信長が捕らえた義元の家臣、林阿弥に命じ首実検をした場所に供養のため植えられた。現在植えられているものは二代目で、初代のスギは高さ約27メートル、直径が約2メートルと大人がやっと抱えられる太さであったが伊勢湾台風の影響で枯れた。
 寺には桶狭間の地名の元になったという伝説がある泉があり清水が湧き出ている。古くは南北朝時代の1340年ころ南朝の落人が、この泉の近くに住み、また村民、道行く旅人たちにとつても貴重な水源となっていた。桶狭間の戦いのときには将兵もこの水でのどを潤したろう。そのほか桶狭間勝宣供養塔、薬師堂、あらゆる願いがかなうという竜神もまつられている。

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