2009年5月10日日曜日

復刻:みどり 名所ある記 瑞泉寺


毎日新聞別刷り みどり 名所ある記 1977年12月15日号

名所ある記

瑞泉寺

☆名鉄鳴海駅前から旧東海道を東へ。新しい家々が多くなり、車がいそがしけに走りまわってはいるが、まだずしりと重みを感じさせる古い門構えの家もちらほら。
 黒べいごしに老松が木枯らしにふるえ街道の名残をわずかにとどめている。約八分歩くと扇川(中島橋)と交差する。その手前方側に龍蟠山瑞泉寺があった。

☆鳴海町相原町四。入口には名古屋市が立てた古ぼけた高札と緑区観光協会連合会の案内板がある。

☆白壁に囲まれた石段を「一つ二つ」と数えながら登る。二十段の石段を登りつめると、朱を塗った立派な山門が立ち、正面には「曇華峰」(どんげほう=山号の別称)と雄大な字体の扁額が掲げられていた。この山門は京都府宇治市黄檗(おうばく)宗万福寺の総門を模したといわれる黄檗式重層の建造物である。(昭和三十二年一月十二日、愛知県文化財に指定)

 漂う静寂・枯淡の趣

☆横に石とうろう一基と葉を落としたザクロの木が一本、静寂・枯淡の趣があった。山門をくぐり境内に入ると、山門の朱色のはなやかさとはうって変わった荘厳さ。

☆五一一七平方メートルの境内には本堂、開山堂、書院、庫裏などが整然と並び、ほうき目の跡もあざやかな庭に、真っ白な山茶花が今を盛りと咲きほこっていた。二羽の鳩がのんびりとエサをついばんでいる。この寺は曹洞宗大本山総持寺の直末で釈迦牟尼如来を本尊としている。応永三年(一三九六)今から五八一年前、根古屋城(鳴海城)城主安備中守宗範が建立したもので、大徹宗令の開山である。寺は初め平部諏訪山にあったが焼失したため文亀元年(一五〇一)現在の場所に移った。

 山門の守護は竜王の娘

☆三世劫外は徳望が高く、多くの人々を教化した。この地にすむ竜王の娘(蛇身)が女人の姿をして、かかさず熱心に法話を聞く座に連なっているのに気づいた劫外は不憫に思い戒法を授けた。竜の娘は蛇身を脱して成仏しそのお礼に「諸人に利益を与えんと山門の守護神となった」という。これによりこの寺を龍蟠山と号している。

☆寺には守悦上人の無縫塔や明倫同篤学石川香山の墓などがある。あわただしい年の瀬のひとときをこの境内で過ごすのもまた楽しからずや…そんな思いで寺を後にした。

※交通=名鉄鳴海駅から徒渉約八分、市バス六条停から徒渉五分。
※年中行事=秋葉祭十二月十六日▽御開山忌法要一月二十五日▽龍神祭八月二十二日など。
(淡河)

 朱更りの瑞泉寺の山門

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